承久記 - 14 秀康・胤義落行く事

 長野の四郎・小嶋の三郎、大豆戸へ馳せゆきて、合戦の次第を申しければ、能登の守秀康を始めとして、「口惜しき事かな。さりともとこそ思ひつるに」とて、あわて騒ぎ給ふ。
 胤義これを聞きて、「只今仙道の手破れぬれば、下手の手々は、これを聞きて萎れ落ちなん。いざさせ給へ。弥太郎判官仙道の手に向ひて支へて見ん」とて、常葉の七郎案内者として五百騎ばかり歩ませけり。
 その日夜に入りければ、能登の守・下総の前司以下寄り合ひて、「平判官は、たのもしげに言ひて向ひつれども、夜明けなば仙道の手あとへまはり、大手前より渡すならば、駆くとも引くとも叶ふまじ。夜に紛れてここを退きて都に参りて事のよしをも申し入れて、宇治・勢多を固めて、世間を暫し見ん」と言ひければ、「尤も然るべし」とて、落行きけり。胤義も「この事、我一人猛く思ふとも、勢の次第に過ぎもて行かば叶ふまじ」とて、ここを打具し落ちて行く。