承久記 - 34 新院宮々流され給ふ事

 同じき廿の日、新院佐渡の国へ流され給ふ。御供には、定家の卿の息、冷泉中将為家、花山の院少将義氏、甲斐の左兵衛の佐教経、上北面には藤の左衛門の大夫安光、女房には左衛門の佐殿・帥の佐殿以下三人なり。
 冷泉中将は一歩の御送りをもし給はず。残る三人ぞ参られける。花山の院少将は、道より所労とて帰られけり。兵衛の佐も、重く病ふを受けて、越後の国にて留まりけり。安光ばかりぞ候ひける。九条殿へ御書あり。御形見に文庫を奉るよしありけり。中にも、執し思召す『八雲抄』をも候ひたりし、九条殿へ参らせられける御書の奥に、
永らへてたとへば末に帰るともうきはこの世の都なりけり
 後の便宜に、九条殿より御返事申させ給ふ。
いとへども永らへて経る世の中を憂には如何で春を待つべき
 同じき廿四日、六条の宮、但馬の国に遷されさせ給ふ。桂河より御輿に移らせ給ふ。大江山生野の道にかゝらせ給ひて、其れより彼の国へぞ着かせ給ふ。
 同じき廿五日、冷泉の宮、備前の国豊岡の庄、児島へ遷されさせ給ふ。鳥羽より御船に召し、この外刑部卿の僧正、阿波の宰相中将信成、右大弁光俊なども流されけり。
 院々宮々流されさせ給ふ人々の御後に残り止りて、「旅の御装ひいかならん」と、思ひやり奉るも愚かなり。中にも修明門院の御嘆き、たぐひ少なき御事なり。一院・新院西へ流させ給ひ、北に遷らせ給ひぬ。御兄宰相中将範茂の朝臣、死罪に当り給ひぬ。新院の御形見に先帝渡らせ給へども、御慰みなきが如し。
 七条の女院と申すは、故高倉の院の御后、一院の御母にてぞましましける。「今一度法皇を見参らせばやと、仰せられける」と聞こし召して、法皇、
たらちねの消えやらで待つ露の身を風より先に如何で問はまし
 七条の女院御返し、
荻の葉は中々風の絶えねかし通へばこそは露もしをるれ
 上つ方の御嘆き類なし。下にも哀れのみ多かりけり。