去る程に、夜も曙に武蔵の守泰時、小太郎兵衛を使として、「只今大豆戸を渡り候ふなり。同じくは御急ぎ候ふべし」と申されければ、足利即ち「使の見る所にて渡らん」とて、足曲の冠者相共に渡しけり。
小太郎兵衛もこの手について渡しけり。ここに渋川の六郎と言ふ者の落ちけるを、「日頃の言葉にも似ず。返せ」と言はれて、大勢の中に駈入りけるが、また二度とも見えざりけり。
池田左近とてしたたか者あり。これも返し合せけるが、義氏の手に太郎兵衛と組みて首を取らる。墨俣の手にも、これを聞きてぞ渡しけるに、又小太郎先駈けゝり。敵支へ矢ばかり射て落ちて行く。その外渡々を固めたる官軍を、六月六日午刻以前に皆追落しけり。京方一騎も残らず、西をさしてぞ落行きける。
野・山・林・河をも嫌はず、田の中・溝の内とも言はず打入り打入り、山も谷も関東の勢にて埋めて行く。京方の者、筵田といふ所に少々控へて相待つ輩ありけり。
三鹿尻の小太郎、京方一人が首を取る。善右衛門・田比の左近・扇兵衛、各々敵一人宛つ討取る。山田の兵衛の入道は敵二人が首を取る。京方に尾張国の住人下寺の太郎が手の者落ちけるを追懸けて、紀伊の五郎兵衛入道生捕りけり。