胤義は「東山にて自害せん」と思ひけるが、便宜悪しかりければ、「太秦に小児あり。それを隠し置きける所へ落行かんが、先にはまた大勢入乱るゝと申しければ、是に隠れ居て日を暮し、太秦に向かはん」と、西山木島の社の内に隠れゐて、車の傍らに立て、女車のよしにて、さうの車をぞ乗せたりける。
胤義が年来の郎党に、藤の四郎入道といふ者、高野に籠りたるが、軍をも見、主の行方をも見んと、都へ上りけるが、ここを通るを森の内より見て出で合ひたれば、藤の四郎入道如何にともいはず涙を流す。「さても何としてかは、かくて渡らせ給ふぞ」と申しければ、「西山に幼き者どものあるを、一目見て自害せんと思ひて行くに、敵既に乱入ると聞く間、ここにて日を暮し、夜に紛れて行かんとて休むなり」と言ひければ、
入道、「敵さきに籠り、御あとにまた満ち満ちたり。いつのひまに公達のもとへは着かせ給ふべき。平判官は東寺の軍は能くしたれども、妻子の事を心にかけて、女車にて落ち行くを、車より引き出だされて、討たれたると言はれさせ給はんこそ口惜しく候へ。昔より三浦の一門に疵やは候。入道知識申すべし。この社にて御自害候へかし」と申しければ、胤義「いしくも申したるものかな」とて、「さらば太郎兵衛先づ自害せよ。心やすく見おかん」と言ひければ、嫡子太郎兵衛、腹十文字にかき切りて死ぬ。
胤義追ひつかんとて形見どもを送り、云ひけるは、「藤の四郎入道は、父子の首取りて、駿河の守が元へ行きて、『この首どもにて勲功の賞にほこり給はん事こそ、おしはかられて候へ。度々の合戦に、三浦の一家を亡ぼし給ふをこそ、人くちびるを返し候ひしに、胤義一家をさへ亡ぼし給ひ候へば、いよいよ人の申さんところこそ、却つていたはしく候へと、ただ今思ひ合せ給はんずらん』と申せ」とて腹かききる。首をば取りて森に火かけて、骸をば焼にけり。
その後駿河守の所へ行きて、最後の有様申しければ、「義村兄弟ならずば、誰かは首を送るべき。義村なればとて、世の道理を知らぬにはなけれども、弓矢を取る習ひ、親子兄弟互に敵となる事、今に始めぬ事なり」とて、弟・甥の首、左右の袖にかゝへて泣き居たり。京より尊き僧請じ奉り仏事とり行ひ、太秦の妻子呼び寄せて労り慰めけり。